幻想郷の黄泉還り

とある事件、ってほどではありませんが問題がありまして精神状態やばかったんですが、大分回復しました。むしろ回復しすぎた感じがあります。だからと言って書く内容とか量とかは以前とはそんなに変わらないと思います


そんなわけで早速、リハビリ程度に
ミュンヒハウゼンのトリレンマと呼ばれるものがあります。ジレンマが大きくなったようなもんです。違うけど
現在では当たり前のように人々はコミュニケーションの道具として言葉を用いていますが、そもそもなんで言葉は通じるのでしょうか

これは言葉を体系づける枠組が存在し、その枠組の中においてはこの意味はこれを示す、となっているからです。では、世界とは何か、というときにこの枠組を広げていくわけです。日本語・英語・ドイツ語・中国語など言葉をまとめたり、ここに物理学やらを混ぜ込んだりしていく・・・のですが、ここでミュンヒハウゼンのトリレンマが出てきます

1:この枠組が無限に続いていく
2:どこかで断定をする
3:循環状態を生み出す
このいずれかの状態に必ず収まる

循環ですが、たとえば「これは妖精の羽である。羽があるんだから妖精はいる」と言ったときに、妖精がいるんだから羽がある。こんな感じの水掛け論のようなものです。胡蝶の夢というのもいい例かもしれません

これを壊すには、先に真理を見てしまって、それを説明するために体系づけていくのがいいんですが・・・まぁ、先は長いなぁなんて。宇宙なんてA=Aという数式だけで語れそうな気もしないでもないんですがねぇ


今日は自分なりに忘れないように書いたものなんで何がいいたいかは謎でもいいじゃない、と思うところでさよなら