客観結界

もし、あなたがふとボールを渡されてそのボールを地面から離れたところから手を離したらどうなると思いますか?
これは有名な話の一つです。一般とは何か?文化の違いとは何か?などにもつながる話です
あなたが普通に義務教育を受け体育を経験し、何らかの形でソフトボールなどの動きについて見た事があるのならば、特に問題なくこう答えるでしょう
手を離したらボールは地面へと落ちていき、何回か跳ね返ったあと地面に接触して止まる、と
しかし、生まれてから綿のボールしかみたことのない子がいたら、風で飛ばされたり跳ね返ってこなかったり私たちが最初に想像したボールのイメージとは全く違うものになります


現在使われている原理・法則といったものはこういった経験の積み重ねから次こうやってもこうなるであろう、という予測をまとめたものであります
ところが次にそうなる、という保障はないのです。上の例では綿ボールで遊んできた彼は、もうこれで間違いないと思っていた彼なりのボールに対する法則が、その次にサッカーボールを見たときに今までの法則と違うことを経験し困ってしまいます
まぁ、この例の場合は説明できることかもしれませんがね


この事は最初に言ったとおり一般性・文化の違いにつながります。あまり例に出すのは友達もいるしいい気がしませんが、中国では反日の指導をしています。それが当然で育ってきて、その敵国である日本が友好関係をもとめようとしてきてもどだい無理な話です。靖国神社の話でも時間がかかるのは当然であって民主党の時間をかけすぎではないのか?という質問はナンセンスに感じます。それに対する小泉氏の答弁も意味不明でしたがねぇ
感情論で会談するのはこの通り無理なことであって、やはりお互いの利益に関してのみ話しあってもらいたいものです。感情を否定するのはよくないですが、感情論だけでは駄目なことを国民も理解するべきであります。国内のまとまりを出すための餌程度で収めるのがベストですね


鋼の錬金術師でも見て真理についてもっとお勉強してきます。でわでわ