黒の夢

今日はもう鬱病全開です。うつされないように気をつけてくださいませませ


ふとしたきっかけで某占いをやったんですが、才能・運はS、人徳・心はA、境遇がD・・・0円ですよ。少し前にそれなりの環境にいることが出来てうれしいとか書いたのがアホみたいですよね・・・それがトリガーになったんでしょうか、完全に駄目です
最近自分が何で生きているのか、まではいきませんが自分の嫌なところばかりが見えてきます。しかも悪循環も悪循環・・・自殺する人ってこんな心境なんじゃないかと本気で思います。しかしまぁ死にたい、と思うのは生物としてどうなんでしょうね。別に幽霊と会話が出来るとかそんなエスパーな話ではないですが、本能で生きようとするためかもう手のうちようのないところに来て、ふとまだ死にたくないと思うとかよく聞きます


ところで、とある友人の友人のブログを読んでいて面白いなぁと思ったものに、人は二択で分けていくと38通り(でしたか?)の質問さえあれば他人と区別することが出来る、というものがありました。詳しいことは・・・まぁ適当に探してください。ここに書くと運営の邪魔になる可能性もあるので
それでまぁ話を戻しますが、この質問の答えの表のようなものがアイデンティティー(個人的にはフランス語のraison d'e^treのほうがしっくり来ますが)だと呼ぶものだとするのならば、これがかぶってしまった時にはどうなるんでしょう?
矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、生物とはその種を残すために生活を営むというのが大原則です。アイデンティティーのキャパを越えて新しい子孫がどこかで生まれたとき、アイデンティティーがかぶる・・・それは生物学でいうニッチのようなもので、見えないところで生存競争のようなものが起きているのかもしれません。これが自殺の原因だとしたら恐ろしいなぁ、と。そしてふと死にたくないと思うのは、結果的に種の存続に携わることが出来たことへの喜びの感情なのかもしれません。また、ドッペルゲンガーと呼ばれるものはこのニッチの共棲(あえてこの漢字を使いました)であるかもしれません。この理論で行くと、確かにドッペルゲンガーを見たら数日以内にきっとどっちかは死にますよね、なんて不吉なことを書いてみたりして


自分はこの見えない生存競争に勝てるのだろうか・・・もう無理っぽいよ。レミングのように潔く死のうかしら・・・彼らはアイデンティティーキャパが少ないのかもしれないなぁ・・・はは
なんか理系なのか文系なのか、そもそも人が書くことなのか?と訳分からない文章になってきたのでもう打ち切ります。もう、って言う量じゃないのはわかってますが苛めないでください。ひっそり泣いたりしちゃいますから