TURNING POINT

題名はまぁ・・・奥井さんの曲から拝借したわけですが、ライブのことは書きません
私にとってのTURNING POINTが来ました。何があったかとか、私の思い出なんかを本当に思うままに書くつもりですが・・・
まぁ、私の今までのリアル日記をそのまま見せるような感じになると思います・・・書いておいてなんですが、半端じゃない量のうえに相当ダークなことも書いていますし電波がたくさん出ているので悪いことはいいません、私に興味ない人は読まないほうが正解だと思います。・・・親近感とか出てくれたらそれはそれで歓迎ですが・・・


というわけで、ここでさようならを言っておきます。でわでわ


それで・・・忠告したにも関わらず読んでくれている人。まず何があったか、です。それは、
丹下 桜さん、入籍 ということです
丹下さんについて、そうですね・・・何から書いたらいいんでしょう・・・私が丹下さんを知ったきっかけなんかから順に書いて行きましょうか・・・


私は小学校低学年の間はどちらかと言うと外で遊んでいました。というのも、色々と厳しかった親にお稽古事をやらされていました。でも面白いと思ったものは特になかったので、嫌がって外に逃げてそのついでに遊んでいましたから。親は私の性格が理解できていなかったようですね。で、そのおかげか私はその頃相当な人見知りでしたが、友達からは信頼を得ていたようです。あくまで自分の感覚ですがね
しかし、信頼されて会話にいれてもらえるとどうでしょう?私があまり見ることのなかった子供向け番組の話やゲームの話で盛り上がるわけです。嫌われたくないと思う私はそれを知識として得ていくことになります。それまであまり触れていなかったものに、知識の土台がある程度出来上がってきた子供が触れると、最初からあるのが当然と思っていた子供とはまた違ったスピードで興味をもって行かれるわけです。その裏まで私の興味が向いたとき、丹下さんはデビューをした頃でした・・・
また私はこの頃、勉強における自分の得意分野・興味の対象が算数・理科であることになんとなく気がつき初めていた頃でした。また、ここから少々いやみったらしくなりますが、自分はそろばん教室では敵なしでした。親に感謝するといえばこのそろばんくらいに結局はなるわけですが、このときから自分の能力が他人とは少し違うと言われるようになりました。友達との遊びはもちろん楽しかったですし続けたいとも思いましたが、一方で「他人とは私は違う」という気持ちも生まれてきました。その結果、あまりやられていなかった将棋やチェスといった頭脳ゲームに走りはじめたり、自分の力を伸ばすために塾にいきたいと親にいいだすようになりました。ここら辺から性格がひねくれ始めます


・・・多少脱線はしましたが、そんな気持ちでいた私は、友達との遊びはこなしていましたが、裏で友達の知らない世界に行くようになっていました。これらの原因と「友達が知らない=深夜ラジオ」という、少し変な図式があったのも影響してから、私は一気に丹下さんに没頭していきます。丹下さんについての誉れは書くとそれこそ限がないので簡単に書きますが、自分の持っていないものをほぼ全て持っているような女性でした。明るく、平等で優しい・・・初恋の人は他にいたつもりでしたし、その子以外にも人並みには人を好きなったつもりでしたが、そんな気持ちが全て嘘だったと思えるくらい好きになりました。丹下さんがいれば何事にも耐えられる、いや乗り越えられる・・・子供ながらにそんな気持ちでした。
精神面が丹下さんで満たされていく・・・そうすると性格も変わってきます。何もかもがうまくいく・・・そんな感じでした。塾の関係もあって小学校では生徒会に入ったりする一方で、悪友も相当できました。この交友関係の広さを維持すると共に勉強・運動、両方もこなしていけていました。自分の今までの人生でのピークは間違いなくこの頃・・・小学6年です


ここがピーク、ということは次に待っているのは落ち込みです。中学受験です。親は、とある理由から私の第一志望校を否定します。私は当然受ける気でいるのにそんな事を言われて頭にこないわけがありません・・・結果、親の決めた第一志望を大喧嘩の末受けないと言う暴挙に出ます。親は当然怒り、一切のラジオ、テレビ・・・もとい、丹下さんとの接触を私から断ちます・・・
中学には嫌々ながらなんとか行き始めました。自分の力なら別に中学なんか行かなくてもどこの大学へでも行ける・・・そう馬鹿な考えも持っていましたが、中学で自分の支えである丹下さんの情報を得るための知り合いというものも確保する必要がありました。ところで親といっても実際に私を怒ったのは母親のほうで、母親は機械に関してまるっきりでしたので、私はここに目をつけた・・・というのは言いすぎですが私の興味のあった分野である機械系で情報を得ることが出来るのが楽な時代になっていたのは好都合でした。一気に廃人への道が拓けた瞬間です。中学1,2年で大体の廃人の基礎知識は蓄えました。ギャンブル、声優関連、あらゆるカードゲーム・・・現在の私を支えるほぼ全てです。私はこっちの住人だ・・・そう感じる頃でした・・・しかし、ある事件(?)が起きます・・・丹下さんの休業宣言です・・・私の絶望感がどれくらいなものか分かりますか?これは恐ろしいほどはっきりと色々な面にあらわれました・・・勉強面では表面上はまともを装うために、中学3年生のときに組まれるある特別クラスに入ろうとしていましたが、数学がスランプにはまります。そして当然落とされます。体調面では食欲がでず貧血でよく倒れそうになりましたし、友達との接触も無意識のうちに露骨に避けていたようです・・・その関係者を恨みつくし、未来からのエアメールすら割ってしまいそうになる・・・それくらい精神面も病んでいました


しかし、中学3年の2学期・・・丹下さんが別名での復帰をなさいました。純粋に感動がやみませんでした。この頃からゆっくりと昔に戻っていく・・・そう思っていました。でも、今度は一回引き離された分以前より熱が入っていきました。体調のいい廃人(矛盾してる?)になってしまったわけです。もちろん、学校での生活は以前に近くなり特別クラスにも入ったりも出来たわけなんですが、興味ないことに無関心な性格に変わっていました。中学3年、高校1年のときのクラスのメンバーがそれはもう相当なもので、丹下さんに関する愛情はそのままに、勉強などに費やしていた時間を他の廃人生活につぎ込む状態になっていました。やる気がある分もう手がつけられません。この頃完全に奈々ちゃんに堕ちるわけですが、今回は割愛・・・。それで、この性格に輪をかけたのが再び受験でした・・・
私は、この性格から研究に力を入れる某関西の大学を志望していました。が、再び事件です。と、これはリアルに暗い話で家族全体に関わるので書けません。で、実家(関東)にいなさいの一点張りです。二度目ともなるともう何と言うんでしょう・・・親への尊敬とかそういう感情が一切抜け落ちていくんですよ・・・


・・・と、少し感情的になりましたが、これを丹下さんが救ってくれました。あまりに怒りすぎて丹下さんに対してまで自分の汚い感情をぶつけるようなメールを出してしまいました・・・。明らかにこんなメールなんか読まれない・・・そんな気持ちも少しはありました。しかし、こんなメールに対し反応をしてくれました・・・。それだけで私はこの人に出会えて本当に良かったと思いました・・・何と言うんでしょうか、分かる人だけ分かってくれればいいです・・・それは、Stand by Meの歌詞そのものです・・・いつだって自分は助けられてばかりでした・・・
それで今回の発表です・・・見た瞬間はもう何ともいえない気持ちです。強いて言えば呆然でしょうか・・・
しかし、ここまで書き終わって大分整理が出来ました。確かに丹下さんが結婚する・・・ショックがないかと言えば嘘になります。でも、それ以上に丹下さんを信頼している自分がいます。その丹下さんが選んだお相手です、間違いなんかないに決まってます。丹下さんが、いや、もう丹下さんじゃないかもしれませんが・・・丹下さんの幸せが自分にとっても幸せです。ドラマなんかである、お前が幸せにならなかったら俺が相手を殺す・・・なんかそんな気分が今の感情にぴったりな気がします(ぇー
これからもお互い、いやご主人も含めて・・・幸せになれるようがんばっていきましょう


遅ればせながら・・・ご結婚おめでとうございます!!!!



P・S ものすごい恥ずかしいことめっちゃ書いてるけど、たまにはこんなのもいいんじゃない?w(照れ隠し


P・SのP・S こんなに感情が変わって書く文章も面白い・・・ので、あえて修正しません