コロニー

昨日は更新をとめないようにがんばったんですが・・・あの程度の文章なら無理しなくてもよかったかなぁ、なんて多少後悔しつつ・・・まぁ、続けることに意味があるとも思うのでこれからもゆるい文章を書くのを見守ってくれると助かります。ゆるい文章を書くことで私の本気を見せないってのも考えの一つですし・・・すいません、嘘です


それで本日のメニューは一昨日の続きです。とは言っても、あのタイプの文章にはしません。なぜ人は他人を殺さないのか?についての考察です


さて、なぜ人は他人を殺さないのか?と書きましたが、現実には殺人事件というのは悲しいことですが結構日常茶飯事です。その犯人は一般に動機があったり、精神異常をきたしていたりします。精神異常に関しては一貫性がないのでなんとも言えませんが、動機についてはちゃんと筋が通っています。彼らの利益のためです。しかし、筋が通っているのなら罪じゃないはずです。ということは、何か筋を通す段階で抜け落ちているわけです


私たちの行動というのは信念が存在して、その信念に添って行動しているわけですが*1その信念の中には道徳というものがあります。基本的に人というものは自らの欲望を満たすために生きているわけですが、道徳とはその欲望を抑えて他人の被害を防ぐという、物理的な強制ではなく内面的な強制です。今の法体制というのは基本的には弱きを助ける方向に作られています。*2この事からも道徳に従わないと自分の身を危険にさらすことになるわけです。人は欲望を貫いてまで危険地帯に入って身を滅ぼすほど馬鹿ではないということですかね。情けは人のためならず


それでは、もう少しだけ深く精神面に入ってみます。とりあえず道徳から分かったのは人の行動原理の層というのは無意識の中で幾層にもなっている。そしてその層の中での優先順位があり、それは多少なら意識的に変えることが出来るということです
そこで、その優先順位の変え方ですが無意識という点から見るに、体の構造上の反射というものは条件を満たせば最上位に位置します。つまり条件により左右されるわけです。これに対して後天的に作る反射というものがあります。パブロフの犬と呼ばれるものです。犬を食事の際にベルで呼ぶということを繰り返した結果、そのうちベルを鳴らしただけで唾液を分泌するようになったということです。これは人にも通じて、辛いものを見ると自然と唾液が分泌されたりするものです。つまり道徳という条件反射を生ませるものが日々の叱責などで、これにより行動原理が変わってきます。もちろん道徳には無意味な条件だけではなく、愛情なども作用しなくてはいけませんが・・・


最後に、今日自分に本当に言いたかったことです(ぇ
叱責などにより人の行動原理が変わる・・・これは言語にも当然通じます。というか通じないと思いますか?いや、ないでしょう。これは反復練習の有用性を説明するにふさわしいと思います。継続は力なり、は正しかった。本当か!?キバヤシ
というわけで英語くらいはちゃんと続けようかなぁって思いましたよ。一晩寝れば忘れてるでしょうがね、HAHAHAHA!!!!反面教師も疲れるなぁy-~~~・・・ダメ人間万歳。NEETにはなりませんがね、たぶん(ぇ
悪い病気が出てきたのでこれくらいでグッバイ

*1:あえて成分分泌とかそういう生物学的な話からずらします。間接的アプローチ

*2:まぁ、お偉いさん方の都合のいいように作られたのもいっぱいあるけどねぇ・・・